大河ドラマ「篤姫」レビュー~第29話~

今週土曜日の第30話を待ってレビューしようか、迷いましたが、今回は一話分でレビューします。

家定公を失って悲しみにくれる篤姫。
ましてや家定の実母「本寿院」や側室「お志賀の方」には葬儀が決まるまで秘匿するように言われて心は崩壊寸前です。
毎朝の将軍家祖霊へのお勤めも二人にあってしまっては隠し通せるはずも無く、滝山さんは「御台様にはお加減が悪いので欠席いたします」と二人に告げます。
しかし、本寿院もお志賀の方も「上様は?」と・・・「上様は表の御政務がお忙しく・・・」と重ねて苦しい嘘をつかねばならない滝山でした。

数日後、篤姫の元をお志賀の方が「お見舞いに・・・」と伺候して来ます。
お志賀の方が持参してきた菓子は、いつか家定公が自分に作ってくれた菓子と同じ味がして、しばし思い出に浸ります。其処をお志賀の方に突かれ、「上様は身罷れた」と、告げてしまいます。
「恐れながら、何で御台様には上様のお体の変調を気付いて差し上げられなかったのか?」「上様はお体が弱いのにハリスへの面会や大老の件など、御政務に励まれたのがご負担になったのではないか?」と篤姫を責めるお志賀の方。・・・返す言葉も無く「次は母上様じゃな」と、呟き、本寿院のところへ向かう篤姫。

本寿院に真相を告げると、最初は信じなかったが、「本当にございます。老中より口止めされておりました」と言うや本寿院は激高の余り、丁度家定のためにと生けていた花で篤姫を叩く。そして「そなたが殺したのじゃ、慶喜擁立を果たせなかった意趣返しにそなたが毒を盛ったのじゃろう」と尚も激しく叩き、挙句は傍らの生け花壷を取り上げそれを篤姫へ投げようとしたので幾島、歌橋、滝山でそれを止めようと本寿院を抱きとめる。
しかし篤姫はそれらに対し「止めるでない!!」と一喝する。
「母上様の仰る通りじゃ。上様を殺したのは私のようなものじゃ」
後ろでそれらを見ていたお志賀の方は「一番辛いのは篤姫だ」と言う事を悟る。

愚かしいほどに真っ直ぐな本作の篤姫では幾ら老中等の言いつけでも「最愛の人」の死を隠しとおせるわけありませんね。ましてや他の子を幼い内に次々と失ってきた本寿院にとって家定の存在は「生き甲斐」と言っても良いほどだったでしょうし、篤姫もそれを良く知っていたでしょうからもうどんどん自分を悪者に思ってしまったでしょう。
それは「自分だけがあの人に愛されていた」と思っていたお志賀の方も同じ。つまり3人3様に家定に愛され、叉愛して居たって言うところでしょうか。

やがて家定の葬儀も終わり、「落飾の日」を待つ篤姫。それまでの数日間は「私が御台様の身の回りのお世話をいたします。」と幾島さん。「どういう風の吹き回しじゃ?まだ私に言い足りぬことでもあるのか?」といぶかる篤姫。
「いえ、私は御台様のお傍にいたいだけにございます」微笑む篤姫。「そなただけはずっとそばにいてくれるの?」
久しぶりに笑顔を交わす主従でした。でも、この時既に幾島さんの胸中には「これが最後のお勤め」と言う思いがあった。だからこそ他の年寄りを退けてまで自分が御台の身の回りの世話をする。と決めたのでしょう。

「落飾の日」、篤姫の髪を愛おしそうに梳く幾島さん。
滝山から告げられた法名は「天璋院」
お志賀の方は大奥を辞する事になり、寂しさを募らせる篤姫。其処へ幾島さんの言葉。
「家定公とのお約束があるのでは?」
篤姫は「そちが慶福の後見として腕を振るうがいい」と言った家定の言葉を思い出し目に力が宿ると、大老井伊直弼を呼びつける。

直弼に「後見」の話をするも、「私は伺っていない。そもそも表の政務は私たち家臣のお役目。大奥の方々にはそのような事には関わらず、お心安らかに過ごしていただきたい。」
人を食った井伊の物言いに、本心を見抜き、「よう判った。そちがその気なら、私は私でやるまで・・・」と啖呵をきる篤姫でした。

一方、大黒柱の斉彬を失った薩摩では既にして義弟の忠教(後の久光)が藩主気取りで、葬儀などの大役をになった小松帯刀の労をねぎらい、「兄に続いてこの忠教にも変わらず仕えてくれ」とたのむ。
しかし、家中では斉彬の父で隠居の斉興が復権を狙っていると噂が立ち、またしても藩が割れようとしていた。

世情では井伊直弼の「一橋派弾圧」が次第に激化。朝廷工作の為に動いていた西郷らの身辺にもその動きは及ぼうとしていた。

この回はそれぞれの決意の回でしたね。
篤姫は家定を死に至らしめた自責の念と哀しみを背負いながらも遺言とも言える「慶福の後見」を果たそうとする決意。
幾島さんは「一橋慶喜擁立」に失敗した責任の取り方と身の振り方、処し方への決意。
井伊直弼は「一橋派」「尊攘派」の掃討と将軍を頂点とする幕藩体制の維持、強化への決意。
小松帯刀は新藩主の元で斉彬の果たせなかった「夢」の実現へと・・・

ところで、大奥総取締役老女「滝山」さんは私の地元川口にある「錫杖寺」にそのお墓があるそうです。
「錫杖寺」は私の家からあるいても15分程の所にあり、毎年年末になるとこの寺の周辺に「三つ葉葵」紋の提灯が吊り下げられます。多くは川口縁の、或いは在住の「錫杖寺」縁故の方々が奉納されているものらしく奉納者のお名前が書かれておりますが、お寺の縁を知るまでは「何故に川口に葵紋?」と思ったものです。

あくまでも私が聞きかじった縁ですから本当かどうか怪しいですのですが、「二代将軍秀忠の(日光東照宮社参)の折の休憩所となったことから将軍家との関わりが出来た。」と言う事だそうです。
武州川口宿はその昔日光おなり街道に近く、将軍家の代替わりでの「日光東照宮社参」の際、江戸から出立した行列が最初に休憩を執ったところ、と言われており、私の住む街周辺の寺などには将軍が体調を崩した時休んだ部屋とかその時の礼として頂いた品とか書状とかがある」そうですが全て文化財なので見たことはありません。
もしかしたら郷土史文化センターならあるのかも?

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