「夏 長崎から」その後

「夏 長崎から」が終わり、参加された方や出演された方々のブログがアップされ、当日の詳細が徐々に明らかになって行く。

やはり当日はかなりの人でシャトルバスも途中で運行をやめてしまい、会場に入りきれない方も相当多かったようだ。
或る方のブログでは「観客が40000人」を超えたらしい、と言う話もあったようだし、玲子さんの日記でも「いつもはお客さんがいるはずの無いところまで人、人」だったと書かれていた。

出演された皆さんも無事帰路につかれた様だ。わがまっさんは関係各所に「挨拶回り」主催者は最後まで気が抜けないね。本当にお疲れ様です。

そして明日8月9日は「長崎 原爆忌」
「祈念式典」が挙行される。昨年は確かさださんが市民代表で献花されていた。
今年はどうなんだろう。
せっかく総理が出席されるのだから、式典の後にでも対談をされたらいかがだろう。
もっとも、後ひと月でその座を引かれる方に何を言ってもしょうがないか・・・(さださんももう疲れを取りたいだろうしね。あの方と話をすると余計疲れそうだ。)

そう言えば長野県知事も変わる。前任者に対してさださんはどんな思いをお持ちなのか、こっそり聞いてみたいような気もするな。或る意味ご同業だったし・・・

1945年8月9日 午前11時2分 
曇りがちな長崎市上空で「そいつ」は爆発し、15万人の尊い命が消えた。

東京大空襲と沖縄陥落と、広島への原爆投下で瀕死の日本に、2発めの原子爆弾を落す意味が何処にあったのだろう。
或るドキュメンタリーでインタビューに答えていたアメリカの老人の言葉「原爆を投下した事で戦争が終わり、その事で数百万の命が助かったのだ」実際にこう考えているアメリカの方は多いとインタビュワーは結んでいた。

どう考えても詭弁と言う他は無い。数百万の命も数十万の命も、一人、ひとりの命の重さに変わり等ある筈がないのだ。

当時、アメリカに於いても原子爆弾の実戦の使用については絶対反対を掲げた物理学者や科学者は多かった。倫理的、生命学的、自然科学的、様々な立場で原爆が後に人類や地球に対して与える影響を恐れたのだ。
しかし、その声は連合国首脳には届かなかった。

「長崎」が人類史上最後の被爆地であるように、心から「祈り」を捧げよう。

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