大河ドラマ「天地人」レビュー17  第39話

関が原の戦場から辛くも脱出し近江まで戻った三成だったが、佐和山城は既に落ち、再起を図って山中をさまよっている時、ついに追っ手に発見され、京へ連行され家康の許へと引き出された。

やがてとある陣の門前に罪人として繋がれる三成。その前を東軍に属した諸将が三成を一目見ようと訪れる。
福島正則は「その様はどうした!!」と悪口雑言を三成に浴びせた。三成は福島を冷ややかに見つめ「その方等にわしの心は判るまい」と返した。

ある記録ではこの時、所謂武断派の諸将らは逃亡の末追っ手に捕縛された三成を「無様に生き残った敗軍の将」と嘲った様だが、そんな中、黒田長政だけは三成の労を労い、一軍の将として遇した、と言われている。

福島や小早川ら諸将居並ぶ中、家康は三成へ尋問を行い、大老筆頭たる自分への反逆は身の程もわきまえない所業と言い放つが、三成はそれに対し堂々と、「強いもの、勝った者が常に正しいとは限らない」と反論し、「そこにいる小早川の小僧が寝返らなければ今頃は立場が逆になっていただろう。それだけが口惜しい」と述べた。
そして最期に家康に向かい、「責任はすべてこの三成にあり、ともに決起してくれた諸将には何の咎も無い。すべては秀頼君の恩為を思えばこそ。何卒寛大なるご処置を願う」と話した。

家康は「あい、判った。追って沙汰する。」と言い残し退席、しかし数歩歩んだ所で三成の所まで行くと「さらばぞ、三成」と別れを告げたのだった。

それから数日後、三成は六条川原の露と消えたのだが、会津の兼続がそのことを知ったのはもう少し後の事。
初音さんが知らせに来て、「兼続に伝えよ」との三成の最後の言葉を伝えたのだった。

さて、三成の最後の願いも空しく、三成に加担した西軍諸将には家康自ら厳罰を下しまくっていた。
実質、三成に担がれたとは言え総大将として大阪城に入っていた毛利輝元も例外ではなく、中国十カ国凡そ100万石だった所領は約70%オフの大減封で、防長二カ国凡そ30万石にされてしまい、豊臣秀頼までも畿内周辺200万石から摂河泉(摂津、河内、和泉)3カ国約60万石の一大名へ落とされてしまった。

勿論、福島ら豊臣恩顧の大名たちはこの仕置きに異を唱えたが、幼君とは言え筆頭大老たる自分を蔑ろにし三成らの挙兵を許した罪は罪!!としてとりあわず、この時福島らは「秀頼君を奸臣、三成からお救いする」と言った家康の言葉が実は大嘘だった事に気付いたが、時既に遅く、当の福島は皮肉にもその家康から「関が原での勲功第一」と褒め殺しされ安芸広島60万石の大大名へと出世した。

さて、会津では早速に家康からの上洛命令が来ていた。家中では「上洛したら殿のみが危ないのでは?」と議論されていたが、奥方が家康の家臣、本田正信の計らいで無事京の上杉屋敷に戻ったのだから・・・と言う事で影勝自ら「上洛する」と言った。しかし家康や徳川家の本心がわからないから、と兼続、実頼兄弟が先ず上洛する事に・・・

上洛した兼続は、意外にも福島正則の訪問を受けた。
福島は処刑される直前の三成に会って語らい、「秀頼君の事を頼めるのはお主だけだ」と後事を託された事などを思い出しながら、「自分は間違っていたのではないか、本当に豊臣の事を本心から思っていたのは三成のほうだったかも知れぬ。と、そう考えるようになった。」と思いの丈を兼続に語り、小早川秀秋が兼続に会いたがっている。と告げた。

小早川秀秋は兼続を見ると「裏切り者の顔を見に参ったか!!笑いに来たか!!」と取り乱したが、兼続と二人になると、三成の入れられている牢に行き三成と会った事、「謝るつもりならここから私を出せ!!」と脅された事。
「それは出来ぬ」と言うと逃げ出す秀秋に「せめて兼続に伝えてくれ、生きろ!!、と」

兼続はこうして、初音、お船、福島、小早川らからの「三成の最後の言葉」を聴き、「お前は最期まで生きて、「正義」を貫き、それを後世に伝えてくれ」と言う三成の遺言を確かに受け取ったのだった。

良く戦国物の小説を読みますが、思うに石田三成は魑魅魍魎跋扈する戦国時代の武将としては「生真面目」過ぎたような気がします。
「裏切り」や「背信」や騙し、騙されが当たり前に横行していた時代に「正義」の為、と言う事を常に念頭において行動した三成。しかしそれは先に「豊臣家ありき」の考えであり、ともすればそれは自分勝手な「正義」であったかも知れず、むしろ拠り強いものに従う、と言う小早川秀秋等のほうが自然な成り行きだったかも知れません。

いずれにしてもこの人は「家中」に「信用にたる友」が、いなかったのが拠り不幸だったのかな?とも思います。
福島正則などのような人物なら互いに腹を割って真剣に話し合えば、もしかしたら分かり合えたかも?などとつい思ってしまうのですよ。二人とも秀吉の小姓に上がったときは「同じ釜の飯」を食う仲間だったのだから・・・

それと、家康って本当のところはかなり三成を買っていた、と思うのですよ。だから福島らに追われて自分の元に逃げて来た三成を匿った。当然家康は「自分を頼ってきた?」と思いますよね。でもそうじゃなかった。その時三成がもっと上手く振舞っていたら事態は、歴史はずいぶんと違うものになっていたのではないかな?と思うときもあります。
家康もそのことを思い、三成との最後の対面に「さらばぞ・・・」と万感の思いを込めたのではないか?と妄想するのです。まあ、三成の性格上、「家康に従う」なんて選択肢は絶対ありえないでしょうが・・・

まあ、過ぎ去った歴史に「IF]はご法度ですが、その「IF」を考える、妄想するのもまた、歴史好きならではなのですが・・・

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