夢鏡

アクセスカウンタ

zoom RSS 終戦記念日〜精霊流し

<<   作成日時 : 2010/08/15 23:07   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 4

8月15日、終戦記念日。

正午、市内防災無線から「追悼のための黙祷をお願いします」との放送に合わせ、手を合わせました。
65年前の今日の正午も「暑い日だった」と、父に聞いたことがあります。

「今日の正午に陛下からの大事なお言葉があるから、必ずラジオを聞くように」と、いう町内会長からのお達しがあったのがその日の朝。

現代のようにどこの家でもラジカセのあるような時代ではないので、町の集会場とかにあるラジオで聴くために町の皆が集まり、正午丁度・・・歴史的なあの放送が始まったそうです。

そうでなくとも聞き取りにくいラジオ、しかも当時のレコード録音盤での放送はとても聞き取りにくく、また難しい言葉で(陛下としてはそれでも精一杯わかりやすくお話しされたようですが・・・)やっと聞き取れた「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・」と言う一文から父や周りの人々は「耐えがたきを耐えて・・・やっぱり本土決戦、一億玉砕が陛下の御心なのか?」と一瞬そう思ったそうです。

でも、一緒に聴いていた憲兵隊やら町の年寄衆からは落胆の声や嗚咽が聞こえてきたのを聞いて「あ〜、負けたのか」と、敗戦を悟ったそうです。

現金なもので、その日の昼前まで聞こえていた「空襲警報」と「敵機飛来」のニュースは昼過ぎには全く聞こえなくなった。この町には大した騒動もなかったが、帝都(現在の東京ね)は大変だったらしい…とのこと。

史実、8月14日から8月15日未明まで、「戦争推進派」の将校たちは何とか「終戦の詔勅」を阻止せんと放送局を占拠しようとしたり、陸軍師団本部を占拠したりといった動きがあり、一部閣僚が襲われたなんてこともあって「混乱の極み」にあったようです。

でも、結局「玉音」は放送された。

陸軍の「戦争継続派」の将校や上層部の一部の方々が「自決」し、「特攻隊」の発案者の一人である海軍軍令部参謀が「終戦」を知りながら最期の「特攻」に出撃したり・・・政府や軍部の中枢は大混乱の様相を呈していました。

それから65年・・・・日本は「平和」な国になりました。世界の大国と肩を並べる「経済大国」にもなりました。

けれど・・・私たちは本当に「幸せ」なのでしょうか?

昨日のドラマ「歸國」を見ていて、まあ、いろいろと思ったわけですよ。

「靖国参拝」にしても・・・「故人を悼む」って言うのはその人その人の「心」のあり方とか「信仰」とか、いろいろあると思うんですね。ただ・・・「政治家」だからとか、「大臣」だから・・・「参拝」に行くっていうのは「ちょっと違うんじゃないの?」と思うわけですよ。
「参拝する」って一度決めたのなら「政治家」や「大臣」をたとえどんな形でやめようとも「参拝」すべきだし・・・
今回、現総理は「戦没者墓苑」に参るとしたわけで、どんな形でも「戦没者を悼む」と言う「心」が本当にあるならどちらでもいいのかな、と思います。逆に「心」もないのに党利や党略や個人のアピールのために「参拝」されたら祀られている方も「迷惑千万」でしょう。まっそういう方はおられない事、と、思いますが・・・(意見には個人差があります。念のため)

そして、「精霊流し」・・・長崎では「盂蘭盆会」のクライマックスの行事ですね。
今年はさだまさしさんのお父上、雅人さまの「精霊船」もながされた。と先ほどのニュースで取り上げられていました。
ほんの短いニュースでしたが、「故人を悼む」と言うごくごく私的な事柄なのだからこの位のニュースでいいのかな?きっとあまり大々的に取り上げられるのもさださんの本意ではないでしょうから・・・

私は昨日、兄と姉夫婦、姪夫婦で父、母、義姉の眠る墓をお参りに行ってきました。
墓地から見下ろす田圃は青々と稲が茂り、時折吹く風に波のように揺れていました。
まあ〜暑かったですけどね〜。

先日、久々にギターを引っ張り出して弾いてみました。
「錆びついた弦」で指を切ることはなかったですが、ちょっと痛かったです。

「精霊流し」と「秋桜」と「案山子」はちゃんと弾けましたよ。
指がコードを覚えてるんですね〜。

でも、ちょっとだけ「精霊流し」のバレーコードがきつかった。夏の午後でした。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 4
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス

コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
昨日は送り盆でした。
提灯を手に持ち精霊船を川に流しに行ったものですが数年前から、それは禁じられ橋のたもとで蝋燭と線香をたむけるだけの行事となりました。
環境問題があるもののかなり淋しいものを感じます。

昨日、某新聞に現在105歳の方の記事がありその方は昔、村役場にて兵役担当の係りにおられたそうです。色んな事務の他、赤紙と呼ばれた召集令状を届けるのもこの方の仕事であったと。それを届けるときの苦しみと何もなくても自転車に乗っていると怯えたように皆が自分をみたこと。戦地に沢山の人を戦争にいかせる仕事をしたことの苦しみが綴られておりました。8月15日終戦とともに軍より書類の焼却命令が出たそうです。その方は沢山の方々の事実を何もなかったことにすることに耐えられず夜中にリヤカーに書類を乗せ自宅にずっと隠しておられたそうです。35年前に亡くなった奥様もこのことは知らずに逝かれ息子さんも昨年までご存知なかったとのこと。現在は資料館にて保存されているそうです。長い間、誰にも言わずさぞ苦しかったことでしょう。戦争と一口に言える物ではなく色んな戦いがあったのだと。
御歳105歳に幸多かれと願わずにいられません。
沢山の尊い犠牲の上にある今の平和な時代。植民地にはならなかったけれど植民地化されてしまった心。日本人の文化、誇りもまだまだ捨てたものではないと言いたいが毎日、胸の痛くなるようなニュース。
ビルマ戦線にて収容所送られた生存者の方の言葉。
ベニヤ板や銅線などをあつめギターやバイオリンを作成。虚脱の日々の中で音楽は救いだった。敵であった英国兵も見に来るようになり製作の難しい管楽器を差し入れしてくれたとありました。
音楽の持つ力はとてつもなく大きいのですね。
午後からは、さださんの歌を聴いて充電したいと思います。何時も牛のよだれのような文章ですいません。

ツバメ
2010/08/16 11:56
 羽柴さんこんばんは。倉本先生のドラマ、私も見ました。東京駅から、また列車で戻って行く前に、「こんなに豊かになったのに、幸せではないと言うのか?
・・・人はニ度死ぬんだ。一度目は、肉体が動くことを止め、呼吸が止まった時、二度目はその存在さえも忘れ去られてしまう時だ。」            私たちは、毎年この日が来た時だけ、祖先の事を思い、感謝するだけでなく、いつも日本について、平和について、思いを巡らせなければいけませんね。
パープルキャット
2010/08/16 20:41
ツバメさん、いらっしゃい。コメントありがとうございます。
年々、戦争体験者が減って行く時代。生の証言はとても貴重ですね。次はそれを聞いた私たちがまた次の世代へと繋いで行かなくてはいけませんね。

貴重なお話をありがとうございます。
私の読んだ本でも8月15日以降、中央省庁や市町村役場で重要機密書類を焼いている煙が数日たなびいていた。と言う記述を見ました。

何時の時代でも世の中を動かしている方々は市民に都合の悪いものを隠匿しようとしています。

現代でも何かと「きな臭さ」が漂う政治・・・有権者として、こう言う事を見過ごしていけないですね。
羽柴小一郎
2010/08/17 21:41
パープルキャットさん、いらっしゃい。コメントありがとうございます。

ドラマ「歸國」・・・倉本先生の作品らしく重厚で、それでいて優しく切ないヒューマンドラマでした。

国や軍の命令に従うしかなく、それでも「愛する人たちのために」散って逝った300万人の戦争犠牲者の方々が現代の日本を見たら・・・やはりドラマの中の兵士たちのように思うのでしょうか?
家族とは?幸せとは?平和とは?、いろいろ考えさせられるドラマでした。

今日のニュースで「経済大国2位の座を中国に奪われる。」と大騒ぎをしておりました。
それを聞いたとき、ふいに事業仕訳の時の蓮舫議員の「世界で一番じゃなきゃいけないんですか?」と言う言葉を思い出しました。

「3位じゃいけなんですか?」そんなことより少しくらい貧しくても、家族が片寄せあって「慎ましく、安らかに、いつでも笑って暮らせたら」それで良いじゃないですか・・・

ドラマの中の「便利」とは「怠け者」のいいわけだ。と言うセリフが痛いです。
この国の人々はいったいどれほど贅沢になったら満足するのでしょうね。
羽柴小一郎
2010/08/17 21:57

コメントする help

ニックネーム
本 文
終戦記念日〜精霊流し 夢鏡/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる