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zoom RSS 戦争の痕跡

<<   作成日時 : 2010/05/20 22:59   >>

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前回の記事で、思いがけず「平和」と「戦争」についての話に方向が向いたので、また一つ話を・・・

私の住んでいる市とその周辺の地域では東京に近い、荒川流域、と言う事もあり、また地場産業としての「鋳物」工業が盛んであった事なども含め、明治以降重工業系のメーカーや化学薬品系のメーカーの工場が立ち並び、その為第二次大戦中はその殆んどの工場で「兵器」や「兵器の部品」「軍事用薬品の製造」など所謂「軍需産業」が隆盛を極めていました。

当然、そのことは相手国も知っており、特に戦争末期に於いては「帝都」東京に劣らず相手国の「空襲」の標的になっていたようで、父などから聴いた話では「空襲警報も、終戦直前の頃になると日常茶飯事で、防空壕に退避する間もなく、何とか荒川河川敷まで逃げては敵爆撃機を遠く眺める事しかできなかった。味方の防空用高射砲や近隣の航空隊の戦闘機が応戦しようとしても敵の爆撃機はその遥か上空を飛んでいるんだから勝負にならなかった。」そうで、その上、爆撃機から投下される爆弾や焼夷弾は工場、民家関係なく絨毯爆撃を繰り返していたそうです。

或る日、いつも通り「空襲警報」が鳴り響き、工場から出てみると、近くの高射砲台から撃たれた砲弾が相手爆撃機に命中し、その爆撃機が火を噴きながら墜落する所だった。
どうやら河川敷付近に墜落したらしく憲兵隊と警察が捜索に出動。墜落機から脱出し、一命を取り留めた乗員が数人、憲兵隊に連行されるのを見た。と言う方もいらしたそうです。

既に60数年前のお話・・・・たぶん若い方たちからすれば、それは夢のような、御伽噺のような昔々のお話かも知れません。

しかし、この数年。先の大戦の「負の遺産」とも言うべき、大戦中に近隣に投下された相手国製の「不発弾」が毎年のように発見されているのです。

実は来週の日曜日も近隣の街で、「不発弾撤去」の為、「不発弾」が発見された地点から周辺300メートルに渡って「住民の避難」、数キロに渡って「主要幹線道路の通行止め」が早朝から無事撤去、信管除去まで続くと言う事で、「平和な日常」が僅かながらも失われるのです。

「不発弾」が発見される要因は大概が「マンション建設」や「道路の敷設」と言う「再開発」の為の「地質調査」だったりします。「新しい開発の途中で過去の負の遺産を発見する」この皮肉。
でも、そう言う事でもなければ「不発弾」は「いつ爆発するかもわからない」危険な状態のまま地中深く眠っているのですから、考えるだに恐ろしいですね。

戦争はその真っ只中に多くの人の命を危険に晒し、また奪っていきますが、戦後も数十年、或いは数百年にわたって人々の命を危険に晒してしまいます。

「戦争のない国、日本」を、「平和で豊かな地球」を、未来の子供たちへ引き継ぐ為に、私たちが父や母や祖父や祖母から伝えられた「過去の戦争の痕跡」を語り継がねばならないでしょう。

戦争は決して「昔話ではない」と・・・

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
私の知らない所でまだ戦争は終わっていないという事がわかりました。
知っている所でもまだまだ終わっていません。
長崎も広島も、沖縄も様々な形また心に戦争の痕跡はありますね。
我々の世代が語り継がなくてはと思います。
そういうと高校生のさだファンの子が「戦争や平和について語るのに若すぎるということはないと思う」とコメントをくれました。
一緒になって考えられればいいですが、機会がなかなかないのが現実です。
さださんの歌を通して語り合うというのも良いかもしれませんね。
国技館でも歌った「神の恵み」や「遙かなるクリスマス」「風を見た人」「september moon」「51」……etc  そして「広島の空」「祈り」………沢山あります。
今日「夏!まだまだ長崎から」のチラシが送られて来ました。いよいよ動き出します。
羽柴さんにもお送りしたいけれど、個人情報は…………
こういちまま
2010/05/21 19:57
こういちままさん、いらっしゃい。いつもコメントありがとうございます。

私は歴史、特に鎌倉期以降の歴史が好きなのですが、全国レベルな有名な歴史は知っているくせに実は一番身近な自分の出身地、居住地の歴史については何も知らなかった、と言う所から「自分の街の歴史」について、先ずは身近な語り部である父や母、ご近所の人生の諸先輩方などから戦中、戦後の暮らしを聞いたり、ネット上で流れている町の歴史などを調べたりしています。

その中には「出征兵士を見送った橋の欄干跡」とか、「砲台跡」とか言う「大戦の痕跡」があったりして、たぶんこう言う痕跡って実は日本国中にあるんじゃないか、と、思っています。
「戦争と平和を語るのに若すぎると言う事はない」確かにその通りですね。年代を超えて語り合えれば・・・そのきっかけとしてさださんの歌を通じてっていうのはよいと思いますね。

さださんは特に「反戦歌」の多いアーティストですよね。こういちままさんのブログのコメントにあった「防人の詩」を「右翼」と呼んだ人の気持ちが判らない」といった趣旨のコメントがありましたが、私も当時「関白宣言」の「女性蔑視論」は端から笑い飛ばしましたが「防人」右翼思想云々は「この詩の何処からそんな考えが浮かぶんだ!!」と激怒し、またそんな風にしかさださんを評論できない自称「評論家」たち「似非文化人」に哀しい気持ちになりました。
「しあわせについて」(日和見的左翼思想論)についてはもうスルーするしかなかったですね。
どんなに「世間の評価」が変わっても「さださんの姿勢」は今も昔も変わらずに強いメッセージを投げかけている・・・これって凄い事ですよね。
羽柴小一郎
2010/05/21 22:39
さださんが色々言われて来た時、我々もさださんも「この詩の何処が???」と思いつつ「伝わる人に伝わればいい」というう姿勢でした。声高に反論もしませんでした。バカらしく思えました。
しかし、「夏!長崎から17回目」のゲスト《楊姫銀》さんに刺激を受け、反戦歌を歌い、翌年には「遙かなるクリスマス」を稲佐山で発表しました。そしてその後このコンサートを20回で止める決心をしました。
止めてみて初めてこのコンサートの果たしてきた意義が分かると。
だから私はこのコンサートがとだえることがあってはいけないと思うのです。
さださんが20年間借金をして、手弁当で行い伝えたかった事を忘れてはいけないのです。
毎年聖地稲佐山に集う事が、同窓会の如くなって行く事も危惧していました。
我々はさださんに試されているのでは?と思う日もありました。
変わらぬさださんの想い。今も反戦歌を歌い続けトークでも語り続けています。
さださんの蒔いた種を枯らすことなく育てて行く為に何が出来るか考えていました。
それぞれの方法があると思いますが私は、ちょっと背中を押される事があり、動き出す事にしました。

丁寧な返信ありがとうございました。

こういちまま
2010/05/21 23:58
こういちままさん、いらっしゃい。
さださんの思いを受け継いで動かれるこういちままさんを尊敬と畏敬の念をもって陰ながら応援いたします。

いつかまた、8月6日の暑い暑いあのステージにさださんが立たれる事を願いながら・・・

その時には、私も長崎に行けたら良いな、そういう願いも込めながら・・・
羽柴小一郎
2010/05/22 20:50

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