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zoom RSS 邪馬台の風

<<   作成日時 : 2010/01/13 23:19   >>

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先日の新聞紙上で、奈良県桜井茶臼山古墳から大量の銅鏡の破片が出土、と言う記事を見つけた。

破片を細かく仕分けした所凡そ81面分にも上った。と、言う事で出土数では最大のもの。
しかも、他の古墳からも出土している銅鏡と同じ型から製作された銅鏡もあり、大半は「三角縁神獣鏡」と呼ばれる種類の銅鏡で、これは所謂邪馬台国の卑弥呼が魏の皇帝から朝貢の答礼に下賜された300枚の銅鏡の一部ではないか?と調査機関では推測している。

「邪馬台国畿内説」「邪馬台国=古代大和王権への発展説」への有力な物証と見ているようだが、果たしてどうなるだろう。

歴史愛好家にとって「邪馬台国」は浪漫である。

古代日本にあった国家のはずなのに、日本側の資料(記紀や風土記等)にその記述はなく、中国の古代王国間の争乱を著した「三国志」の中の「魏史倭人伝」(つまり魏の国の歴史を書いた章の倭人について、と書かれた文)に僅か数行ばかりの記述で{倭の「邪馬台国」と言う名の小国が我が魏の皇帝陛下に挨拶に来たよ。その国は我が国から東方の海上の彼方の倭国の内にあって「卑弥呼」と言う女王が統治しているらしいよ。で行き方は海上数里、そして陸行数里etc}などとかなりアバウトに書かれているに過ぎない。

一番アバウトなのはその旅程で、記述どうりに行こうとすると日本列島からはみ出てしまう。
そんな記述のアバウトさから「邪馬台国」は「北九州説」を筆頭に「畿内説」「四国説」「東北説」まで、まあ、縄文や弥生時代の大きな集落跡が発見されるたびに「もしかしたら此処が!!」と大騒ぎになっている。

私も中学時代、歴史の時間に「邪馬台国」と出会ってから、この話題が出るたびに新聞や雑誌テレビなどついみてしまう。
最初はやはり「大和王権」との繋がりから「畿内説」が優位?とも思ったが、「記紀」によれば「大和王権」のご先祖様である天孫族(天照大御神を祖とする)が降り立ったのは宮崎の高千穂峡谷と言う事になってるので大和王権と「邪馬台国」に繋がりがあるのなら「九州説」も捨てがたいのである。

まっ「東北説」はちょっとないかな〜ってのは実感でね。

でも最近は、近年列島各地の海底で発見されている「海底遺跡群」(のようなもの)が、結構怪しいのではないか?その中に(例えば沖縄海底遺跡群とか北部九州に点在すると言う海底遺跡群)大きなヒントが隠れているのではないか?などと思ったりしている。

歴史愛好家にとって「邪馬台国」は浪漫である。
何時か真実が明らかになって欲しい。と思う反面、浪漫は永遠に浪漫であるから美しい、とも思う。

さだまさしさんの「心の師」

宮崎康平先生が「幻の邪馬台国」を著したのももうかなり昔の事。で、ある。



さだまさしさんのお父上。
さだ企画の会長であられた佐田雅人さんが、昨年12月10日、ご逝去されていた。とあちこちのファンサイトで拝見しました。とてもショックでした。

いつもコンサート会場でお客様とご歓談されておられたお姿や、コンサート終演後のロビーで、帰途に着く私たちオーディエンスに対し深々と頭を下げられ、一人ひとり丁寧にお送りくださったお姿が目に焼きついております。
メガネの奥の優しい瞳。毅然とした美しく凛々しい姿勢。
ご高齢にも拘らず、コンサートツアーに帯同しておられたヴァイタリティとコンサートトークでさださんが良く語っておられた「お父さん」としての数多のエピソード。
幾ら書いても書き尽くせません。

また、その深い哀しみの中でも変わらずにコンサートやテレビや仕事をやり通したさだまさしさん、玲子さん。にも本当に頭の下がる思いです。
どんなにかお辛かったろうか、哀しかったろうか・・・

それでもさださんも、玲子さんも私たちの前では「笑顔」を絶やさずにいてくれました。
そこに「真のプロフェッショナル」を感じずに入られません。

いまはただ、佐田雅人さんのご冥福をお祈りいたします。   〜合掌〜

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