夢鏡

アクセスカウンタ

zoom RSS 大河ドラマ「天地人」レビュー15 〜第33話〜第37話〜

<<   作成日時 : 2009/09/16 22:07   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

ほぼひと月空いてしまいましたが、「天地人」視聴はしておりました。

この間のお話は・・・兼続が主君、景勝から上杉家の「執政」に任じられました。
これは上杉家の勢力下における「司法、立法、行政、軍事、外交」の全てを総攬する役職、と言う事を意味します。
民主主義の現代日本では考えられない権力の一極集中ですね。

で。お殿様は「執政」から上申された案件に対し、「是非」を応えればいいわけです。
これは機能が健全に運営されている分には問題ないのですが、「執政」が主君を蔑ろにしたり、背任行為に及ぶと「お家騒動」に発展しかねない。そういう危険性を大いにはらんでいます。

まさに、「豊臣家」そのものが迎えつつある運命そのもの・・・

一旦は天下を甥秀次に譲った太閤、しかし淀との間に誕生した「お拾」にどうしても「天下」を譲りたいと思い至った秀吉は秀次に対し、様々な罪を着せ、落剥の上高野山へ追放、それでも不安な秀吉は秀次に「切腹」を命じ、秀次の妻妾、子供数十人を六条川原に於いて「公開処刑」にします。

やがて秀吉は諸大名を集め「お拾」を「豊臣家」の後継者にする事を宣言。

利休事件から秀次事件までの顛末をすべて石田三成の建言であるとした徳川家康は諸大名注視の中三成を攻めますが、景勝はそれを諌めます。家康対上杉、の火種が撒かれた瞬間でありました。

徳川家康の不気味な動きを封じ、円滑な政を行うべく三成と兼続が考え出したのは「六大老、六奉行」の制度、
「徳川家康」「毛利輝元」「前田利家」「上杉景勝」など有力諸侯を政権の中枢に抱きこみ、その筆頭に家康を据える事で家康の独断専行を防ごうと言う案だった。

この制度はやがて「五大老、三中老、五奉行」の制度となり、「五大老、五奉行制」へと変遷する。が、結局の所徳川家康の動きを封じるどころか、逆に家康の「大義名分」のために利用されたようなものなってしまったようです。

秀吉もまた、徳川家康と伊達政宗の動きを牽制する為に上杉を「越後」から「会津」へ国替えとしました。
謙信以来の国を去ることで家中は混乱しましたが、この国の「民の為」、と言う兼続や景勝の意思に家臣も従います。
兼続の友、泉沢久秀は自分の子供を「やがて上杉が越後へ戻る時の布石に・・・」と越後へ残します。
景勝の母、仙桃院もまた、謙信と自分の国である越後に残る事に・・・

上杉家中が「会津」へ向かう途中の峠で、一行を見守る仙桃院。道中の指示をしていた景勝と兼続、双方の思いはいかばかりだったでしょう。・・・しかし、これで上杉家は「会津120万石」、徳川に次ぐ大領となりました。

この頃既に病床にあった秀吉は「お拾」の天下を安全なものにするために諸大名に対し「お拾」への忠誠を誓う「起請文」や「誓詞」を何度も何度も提出させました。それでも尚、安心できない秀吉は前田利家を枕頭に呼び自分のなきあとを繰り返し頼み、家康や諸大名にも何度も「秀頼こと頼み申し候」と頭を下げたのでした。

ドラマでは朦朧とした秀吉が三成に「茶」を所望してましたね。三度も・・・
このシーンはこのドラマでは描かれていない三成と秀吉の出会いの場面を知らないと「なんのこっちゃ」なんですが・・・
それはまだ秀吉が信長の家臣で「木下藤吉郎秀吉」だった頃、「浅井、朝倉攻め」の際、勲功第一として信長から湖北三郡近江今浜12万石を拝領し「羽柴」の姓を下賜され「筑前守」の官職を拝命、念願の大名となったとき、領内巡視にでていた秀吉は喉の渇きを覚え、近くの寺に立ち寄り一服の茶を所望した。その時ひとりの若衆が少しぬるめの茶を茶碗になみなみと注いで秀吉の御前に出した。秀吉はそれを一気に飲み干すともう一杯所望と椀をその若者に返す。すると次に若者は先程よりやや熱めに淹れた茶を椀に半分ほど容れて持ってきた。秀吉はそれも飲み干すと、更に一杯所望、とまた椀を若者に返し、若者は3度目には熱く淹れた茶を椀に少し容れて持ってきた。秀吉はそれをゆっくり飲み干すと、「その方、なかなか気の廻る目端の利くものじゃな、どうだ、このわしに仕えて見ぬか」
これが石田佐吉、後の三成と秀吉の出会い、と言われています。(3杯の茶の意味は秀吉、三成関連の小説や歴史書を読むと大概でてきます、それ程有名なエピソードなので・・・)
先ほどのドラマのシーンは意識が混濁した秀吉がその頃のことを思い出していた、ということでしょう。

秀吉は三成の耳元で何かを告げようとしてそのまま息を引き取ります。(まッドラマですから)

希代の英雄、豊臣秀吉の最期は早速会津の上杉にも知らされます。

さらに、三成、兼続が一番頼りにしていた前田利家までもが友の後を追うように亡くなります。

「目の上のタンコブふたつ」がなくなった徳川家康はこれを期に公然と自らの「野心」を明確にし、その遂行には手段を選ばず、と言う感じでその手は秀吉の正妻、北の政所こと「高台院」にも及び、三成や兼続等を「豊臣を転覆させる元凶」とも取れる言い方であること無い事吹聴したり、他の大老と奉行衆連判の「詰問状」の使者を「筆頭大老足る自分を何と思うのか!!」と叱責し追い返したり、反三成派の急先鋒福島正則や加藤清正を焚き付けたり、福島や加藤らから逃げて家康の下に来た三成を匿う条件として居城佐和山での「蟄居、謹慎」を言い渡したり、挙句は大老衆との合議の席で毛利や上杉に問い詰められてもとぼけ、すかし、果ては逆切れで「上杉殿も会津へ帰国されては・・・」などと言い出す始末。

まあ、それにしても松方家康の「意地の悪さ」は凄まじいですね。
嘗てあれほど憎憎しい家康を演じた方って居るのでしょうかね〜、と、思ったら思い出した。
昔、何処かの民放ドラマでの「関が原」で森繁さんが演じてた家康。あの時と同じくらい、いやそれ以上に松方さん演じる家康は「凄み」あるタヌキ親父です。

小栗君、妻夫木君のファンの方にとってはさぞや憎き家康殿でありましょう。

兼続は会津へ帰国の途中、近江佐和山に蟄居中の三成を訪ね、ともに立とうと決起を促します。

上杉に関して「謀反の疑いがある」などと公表している家康に対し、兼続は反論の書状を認め、諸大名に送りつけます。「大老筆頭たる徳川殿とはそんな程度の方なのか」と理路整然と家康を非難したその内容の辛辣さから後年「直江状」と呼ばれるその書簡を読んで激怒する家康。いわば兼続の挑発行動とも取れる書状でした。

そして、いよいよ「上杉征伐」へ向けて進軍した家康。
その隙に乗じて「大阪城」へ入った三成は盟友大谷吉次にともに決起してくれるよう頼み、徳川征伐の総大将に毛利輝元を頂きました。大谷には「何故、自分が総大将にならないのか?」と問われ、三成は自嘲気味に「自分には人望が無い。自分が総大将では豊臣恩顧の大名どもは付いてこない。」と応えました。

いよいよ運命の「関が原」です。


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
大河ドラマ「天地人」レビュー15 〜第33話〜第37話〜 夢鏡/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる