夢鏡

アクセスカウンタ

zoom RSS 大河ドラマ「天地人」レビュー11 〜第20話、第21話〜

<<   作成日時 : 2009/06/03 23:04   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

本能寺の変後、僅か10日ばかりで備中から京へ取って返した「羽柴秀吉」は「山崎の合戦」で「明智光秀」を破り、「織田家跡目相続」を決める為の重臣会議「清洲会議」でも主導権を握り、信孝、信雄と言う信長の次男、三男を差し置いて信長の嫡男信忠(本能寺の変の折、明智光秀軍の別働隊により滞在中の宿所を襲われ討たれている)の忘れ形見、弱冠2〜3歳の「三法師」を織田家の後継者としその後見職に自ら就任する事で事実上「織田家」の天下を「簒奪」する事に成功し、それに「異」を唱える「柴田勝家」「滝川一益」「佐々成政」等を討ち、屈服させ、北陸、中部から畿内までをほぼ勢力下に治め、、官位、官職も累進し、いつの間にか位人臣を極め「関白」にまで登り詰めて、天下統一へ向けての地盤を固めていた。

「関白」とは(奥さんに対し偉そうに接している夫・・・の事ではもちろん無い。平安時代の「関白」職とはそもそも「天子」つまり帝の身に不測の事態があった時に一時的にその職を代行する「臨時職」であった。
それが代々藤原氏の中のとりわけ由緒ある5家(5摂家)により引き継がれてきた名誉職でもある。
秀吉は自身が「天下」を掌握する一手段として「将軍職」ではなく「関白職」を選び、かねて懇意の近衛前久の「猷子」となって藤原氏を称し「関白」に就任した。(本当は「将軍職」を望み足利義昭の「養子」になろうとしたが義昭に拒否された。と言う話もあるがそれは「後世の創作」と言うのが事実らしい。「将軍職」が「源氏系」の「世襲職」と言うのも、朝廷が「織田信長」に対し「将軍」「関白」「太政大臣」のどれが良いか(三職推任)。を打診した。とあるので朝廷では「将軍は源氏で無ければダメ」と言う認識は無かったもの、と思われるから・・・(もっとも、織田信長は別格だったのかも知れないが・・・)

そんなわけでまだまだ敵対勢力(島津、北条など)が多い秀吉は残存勢力の中ではとりわけ名家な「上杉家」と誼を結び、あわよくば大阪に来て「臣下の礼」を取ってもらいたいと景勝に会見を求めた。(つまり多数派工作に取り込もうという訳ですな。何時の世も政治家の考える事は・・・)

落入水、と言う土地での城で秀吉との会見に臨む景勝主従、しかし兼ねてより兼続と打ち合わせたとおり秀吉からの御下問に景勝は一言も言葉を発する事は無く返答は兼続が受け持つ事に・・・

まあ、そんなぎこちない会見も滞りなく執り行われ、景勝主従ご懸念の如く秀吉から「上洛」の話が出る。
会見前は拒否するつもりだった景勝は何とあっさり承諾。目が点の兼続に景勝は「越後の民を守る為」に決意したと言い、兼続も納得。

しかし、「関白様饗宴」の席での石田三成の尊大な態度に兼続は怒り(もっともこれは以前命を救ってくれた三成を失念していた兼続の方が悪い)悶着をおこしてしまう。

秀吉から三成の人となりを聞いた兼続は一人頭を冷やしていた三成の許へ行く。
三成は秀吉の天下統一事業を「日本国の民の為」と「兼続に話し、「越後のみに囚われていては大きなものが見えない」と話す。

兼続は三成に対し「日本国の民を守ると言うのは壮大な話だが、近しい友たちと喜び、哀しみを共有するのもまた人の道ではないか」と自分の考えを説いた。

秀吉と景勝の会見は徳川家康の知る所となるが、家康は「暫くは様子見、己の地盤を固める」と決意する。

秀吉が去ると、暫くして直江屋敷を石田三成が訪ねてきた。
折り悪く兼続は景勝の傍で、ある問題(景勝の奥方が御懐妊、と言う噂を仙桃院が聞きつけ見舞いに来たのだが実際には本当にただの噂話で、真実を兼続から仙桃院へとりなしてもらおうとしていた)の処理を景勝から押し付けられていた。

仕方なく泉沢ら上田衆が三成の相手をしていたがどんな話を振っても三成が取り合わず上田衆は頭に血が上りきってしまっていた。

三成も諦めて屋敷を辞そうとしていた時兼続が帰宅し、「泊っていかれるよう」と三成を引き止めた。
一旦はそれを固辞した三成であったが、折から兼続に宛てて採り立ての野菜などを荷駄に載せた農民等が訪ねてきて、それら一人ひとりに対し優しく対応する兼続の人柄を見ることで三成は兼続と話をしたいと思い留まる事に・・・

やがて、お互いの思いを話し、叉お互いの人物を認め、二人の間には友情らしきものが芽生えたようであった。

(石田三成は小姓として秀吉の傍に仕えて以来、その聡明さゆえに秀吉の寵愛を一身に浴び、五奉行にまで登り詰めたが、武を以って仕えた「加藤清正」「福島正則」などの秀吉の血縁関係者らとは悉くそりが合わなかったらしい。言わば縁故入社組の「現場たたき上げ」と外部入社組の「キャリア官僚」との確執である。
調整役の秀長やトップの秀吉が健在な頃なら二人が両者を一喝すれば事足りたのでまだ良かったが、二人がいなくなり、後見で保守派の前田利家までいなくなった頃、徳川家康は満を持してこの豊臣の屋台骨の弱点を見事に突いた。
やがてこのドラマでも絶対にやり過ごす事のできない「関が原」、家康乾坤一擲の戦いは「関が原」にいたる以前に既に勝敗は決していたのかも知れない。)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
大河ドラマ「天地人」レビュー11 〜第20話、第21話〜 夢鏡/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる