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zoom RSS 大河ドラマ「篤姫」レビュー28 〜最終話〜

<<   作成日時 : 2008/12/23 22:22   >>

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最終話放送から大分経ちましたが、総纏め含め感想です。

最終話は70分スペシャルと言う事でメインキャスト総出演(回想も含めて)でした。

まあ、簡単に最終話感想を書くと・・・70分スペシャルでなくとも良かったかな〜、と言う印象です。

物語は先ず、一橋邸に身を寄せた天璋院様御一行、しかし落ち着く暇も無く新政府の御都合であっちこっち転々とさせられたようです。
そんななかでも何とか居所を見つけて何気ない毎日を送る一行。
天璋院、本寿院、歌橋、唐橋・・・政治事や浮世から切り離されのんびりと暮らしてる様子が見られます。
結局、本寿院様、歌橋、唐橋は最終話までお笑い担当になってしまいました。
本寿院さま、何気に「メガネ」を掛けていらっしゃいましたね。

そして薩摩では小松帯刀が国父久光に「版籍奉還」を建言(つまり領地、領民を帝に返す事)
小松は藩主に先駆けて自らの領地領民を返還する旨を久光に伝え、「この国は変わらなければいけない」と訴えました。
久光は「考える」としながらも西郷や大久保(暗に小松に向けて、であろうが)に対し「口ばしの青い連中がいっぱしに政治を取り仕切っている」と批判します。

(久光にしてみれば、島津家の領地である「薩摩」「大隈」は帝から頂いた物ではなく、遠いご先祖が時の征夷大将軍源頼朝から薩摩の地頭に任じられ、その後、代々の主がその時代の天下の主催者に仕え守り抜いたものであり、近くは「関が原合戦」の折、敗北した西軍に組していた為、東軍の追撃を受けるも、徳川本陣の真っ只中を敵中突破して退路を創り、壊滅的状態になりながらも薩摩へ帰り着いた。その武勇を家康より賞賛され(恐れられ)、同じように西軍に付いた毛利家や上杉家と違って減封も転封もされずに本領を安堵された。そのように先祖代々必死に守り抜いてきた領地、領民を手放すのは「武士」としての誇りや名誉や存在意義を全否定してしまうことに他ならなかった。これは島津家だけでなく、二百数十藩の藩主全てが思った事だろうと思います。
「武士の政治、幕藩体制の崩壊の為に自分たちの藩士たちを「維新戦争」に参加させたつもりは無い。」と)

小松が帰った後、独りになった久光は、在りし日の兄、斉彬を想いながら「兄上の目指された日本とは、このような国だったのですか!!」と絶叫します。だけど斉彬さんの考えた政治体系と小松、大久保がやろうとしてることは根本的に違う、と思いますよ。斉彬は「幕藩体制」に異議を唱えた訳ではなく、「外様でも有為のものは幕政に参加させ、然る後に将軍を議長とする{諸侯会議}を幕政の中心にするもの」すなわち「幕政改革」だったはず。

ところで、「鳥羽伏見の戦い」から「戊辰戦争」まで、藩士たちを朝廷軍に参加させてた藩主達はその事態をどう見ていたのでしょうかね〜。「今日から官軍ですから、私、官軍の司令官ですから、藩主様が、何か?」とか言われちゃってたんでしょうか?西郷さんなら久光に言ってそうだね。木戸とか伊藤とかは毛利公にどう言い訳したんだろ。

それは兎も角、時代は明治に、江戸は東京になります。
西郷さんは思うところあって太政官を辞し、国に帰ってしまい、小松君は病気が悪化し大阪で入院してしまいます。
政治は岩倉と大久保が主導しますが、旧態依然な考え方の旧藩主や士族等から反発を受け中々前には進めず、それを病床から見守るしか出来ない小松は焦りながら何とか西郷を現場に復帰させ、大久保と共同で政治を取り仕切って欲しいと二人への手紙を認めます。

そんな政治向きの事、徳川旧家臣たちの現状を報告に勝海舟は足繁く天璋院の元を訪ねます。
天璋院はそんな3人の事を憂いますが、最早なんの力も持たない自分にはなす術も無いと思います。
そんなこの頃の天璋院の生き甲斐は徳川宗家の16代当主となった家達の教育。
現代の教育ママ宜しく、精一杯の愛情を家達に注ぎ、「帝王学」習得の為イギリスへ留学までさせたようです。

やがて小松は後をお近に託し「楽しい人生だった」と言い残し、この世を去ります。
大久保利通が天璋院を訪ね「帯刀逝去」を知らせ、それを聴いた天璋院は小松との思い出を噛み締めながら涙に暮れました。

このあと、小松帯刀の遺言の通り大久保は西郷を迎えに薩摩へ行き、西郷は太政官に復帰、大久保は西郷に後事を託して岩倉、木戸らと欧米歴訪の旅に出かけ、残された西郷は士族達の突き上げの中で「征韓論」をぶち上げ、帰国した大久保らはそれに反対し、結局西郷と大久保は袂を分かち、やがて西南戦争で西郷が討ち死に、日本国最後の内乱が終結し、此処に「近代国家日本」が動き出し、その余波で大久保は反体制士族の手により暗殺されました。それ等一連の出来事は明治と言う時代の「生みの苦しみ」だったのしょうか?

そんな激動の時代のうねりの中、天璋院は政治とは無縁の暮らしの中で穏やかに過ごしていたようです。
「帝が東京に移られたので・・・」と静寛院が東京に戻ってからはお互いに交流を持ち、勝海舟が何やかやと世話を焼いていたようで、「歌舞伎見物」「吉原」「舟遊び」など、悠々自適な生活ぶりだったようですね。

薩摩から「母親」や「兄」らが面会に訪れたり、家達の結婚のお祝いにと滝山ら元大奥の女中達が大挙して訪れたり、それでみんなで写真に納まったり・・・は、まあ、史実ではないでしょうが・・・

最後は「ひ孫」である家達の子供のための「着物」を縫いながら眠るように逝ってしまった天璋院。
49歳、波乱の人生でした。

史実では、静寛院が病を得て箱根に静養のため滞在し、其処で亡くなった。天璋院は最晩年にその同じ場所に数日滞在し、在りし日の静寛院その人と、静寛院と共に過ごした日々を思って詩を詠んだ。と、されているので、そのエピソードをドラマで再現して欲しかったな〜などと思いました。(原作ではどうなんでしょうね)

ラストシーン。床に眠る天璋院。
晴れた空に、天璋院が可愛がって飼っていた小鳥を籠から大空へ放つ唐橋・・・

それは天璋院篤姫の魂を乗せて、遥か自由な大空へ舞い上がるように・・・

時代に翻弄されながらも、いつも前向きで明るく、自分の考えに正直に真っ直ぐ生きた生涯。
それは辛く、苦しい事ばかりだったけれど、そればかりではない、「自分の行く道は一本道である」と言う信念を持って生ききった。素晴らしい女性の一生だった。


いや〜、一年、50回・・・最後まで見てしまいました。
平均視聴率20数%は大河ドラマ中でも上位の記録とか・・・
見終わっての感想・・・天璋院篤姫の成長と波乱の人生の物語=女優宮崎あおいの成長ドキュメント

実際、ドラマの初頭と最後のほうではあおいさんの表情や表現力など格段の成長振りで「大御台」になった頃からは一種貫禄のようなものを感じるようになったりしました。
元々才能溢れる方なのでしょうが、この大河での多くの大物先輩俳優、女優さんとの共演を通じて得たものもたくさんあるのでしょうね。実際あるインタビューで「年を経た天璋院を演じる時に樋口可南子さんや松坂慶子さんの演技を参考にさせてもらった。」と答えられています。

このところ、ドラマ、映画、コマーシャルと大変な人気ぶり、仕事ぶりですが、御健康に留意され、叉いつか大河に出ていただきたいものです。(何せ私は大河以外はあまり連続ドラマを見ないので・・・)

それと、大久保役の原田泰三さん、最初はどうなる事やら?と思っていましたが、いやいや、中々凄い演技力でした。普段、ネプチューンのメンバーとしてみてる原田さんとは全く違う一面を見させて頂きました。

惜しむらくは岩倉具視役の片岡鶴太郎さん、せっかく鶴太郎さんをブッキングしたのならもう少し岩倉の見せ場が欲しかったかな?と思いますね。何か毎回出るときの「ホ,ホ、ホ」と、キモい笑い声だけが印象に残ってしまいました。

以前にも書きましたが家定役の堺雅人さん、あのようなつかみどころの無い難しい役を見事に演じてていらっしゃいましたね〜。この方もまた「大河」で見てみたいものです。

その他、「大河」でこそのキャスティングは今回も大きな見所でした。
スタッフのみなさん、出演者のみなさん、一年間お疲れ様でした。それと、どうもありがとうございました。

さてさて、来年の「大河」は「天地人」。上杉謙信、上杉景勝に仕えた正義と愛の武将、直江兼続の物語。
でも、よほど歴史好き、日本史好きでないと、「誰、その人?」っていう感じでしょうね〜。
実は私も上杉景勝の家老として、石田三成の親友として、「義」の為に挙兵し徳川家康と戦った武将。くらいな知識しかないのですが・・・

妻夫木聡さん主演。
確か織田信長役が吉川晃治さん。
石田三成役に小栗 旬さん。

とりあえずは「第一回」を見てみましょうかね。

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