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zoom RSS 大河ドラマ「篤姫」レビュー24 〜第46話〜

<<   作成日時 : 2008/11/22 22:31   >>

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天璋院や静寛院宮等大奥がひっそりと寂しい正月を迎えていた慶応4年。
京では西郷、大久保ら薩長連合軍がいよいよ慶喜討伐に向け、動き出していた。

一方で、慶喜ら幕府軍も朝廷工作を進め、薩長連合より優位に立とうとしていたが、既に岩倉具視らに先を越されてしまっていた。

幕府軍対薩長連合軍、最初で最後の戦い「鳥羽伏見の会戦」である。

数に勝る幕府軍は会戦当初こそ優位に戦いを進めるも、この時の為に岩倉、大久保が用意した「錦の御旗」が薩長軍の陣頭に翻るや、形勢は逆転。
「錦旗」が出たことを伝え聞いた慶喜は激しく動揺し、あろう事か自軍の将兵を戦いの場に置き去りにし海路江戸へ逃げ帰ってしまった。
一軍の総大将が大本営から忽然と消えてしまっては将兵の士気は当然の如く下がってしまい、「鳥羽伏見の戦い」は薩長連合軍改め「官軍」の大勝利となった。

(しかし、進軍の一番先頭に「鼓笛隊」が演奏しながら行進しているとは、「戦争」なのに何とも悠長な事だ。もっともこのくらいの時代までは戦場へ赴く将兵の士気の高揚のためにこうして軍楽隊が演奏しながら行進するのは諸外国では良く在った様だ。
それにしても、慶喜も「敵前逃亡」とはまた、思い切ったことをしたものだ。あとで勝を相手に語られるが、光圀以来、水戸徳川家は尊皇の志篤く、代々その教えが伝えられており、薩摩と岩倉の陰謀とは言え、自らが「朝敵」の汚名を着せられるのが耐えがたかったのかも知れない。司馬さんの「最期の将軍」によれば、この時、慶喜の傍にいた松平春嶽や松平容保には「江戸に一旦引いて後、再起を図る」と、二人を騙して無理やり船に乗せたらしい。)

{ちなみに、家康が「御三家」を起こした時、宗家嫡流が途絶えた時の継承順として、一位に「尾張家」二位に「紀伊家」とし、「水戸家」には将軍継嗣権を与えず、その代わり水戸家当主は常時江戸に在って、将軍に不測の事態が生じた際は「次期将軍」が決まるまで将軍職を代行すべし、また、徳川家と朝廷間に一旦事あらば、迷わず朝廷を奉ずべし、さすれば「徳川家」が滅する事はない。とし、各家の役割を定めたらしい。}水戸様は天下の副将軍、水戸様は尊皇。と世間から言われた所以である。

薩摩で病気療養中の小松帯刀は京周辺から聞こえてくる「戦」の噂に耐え切れず、またお幸に書いてもらった手紙に対し天璋院は帰国の意思は無い事を知らされ、病を押して上京する事を決意し、旅立つが、遅かりし・・・であった。

江戸に戻った慶喜は勝に面会し、「余にはもうそなたしか頼るべき者はいない」と勝に徳川の今後を託すが、慶喜の本心を読んだ勝は「私より、先ず合わなければならぬ方が居られます」と告げる。
慶喜はそれは誰か?と問うと勝は「天璋院様です」と答えるが、「何故、余が天璋院に合わなければならぬ、そもそもこうなったのは薩摩の謀略、その薩摩の元は分家の女子にどうして会わなければ行かぬのか!!」と激高する。しかし、勝は再度、慶喜を窘める様に「天璋院様には合わなければいけません」と、言い放した。

大奥では滝山から「慶喜帰国」の報を受けた天璋院一同が今後を憂えている最中、何を聞き間違ったか慶喜が戦に勝利し、凱旋してきたと思い込んだ本寿院と歌橋が「流石は聡明と唄われた慶喜殿じゃ」と浮かれながら訪れる。天璋院は「やれやれ」と言う態度で滝山に「真実を告げるよう」促し、滝山から真実を聞いた本寿院は事の重大さに倒れてしまう。(ホント、このお方はいざとなると役に立たないね。)
そうこうしている内に「慶喜様が天璋院様に面会を求めてきておられます」と使い番がやってくる。

気を取り戻した本寿院は「慶喜の首を打ち、朝廷に差し出せば徳川家は残せる!!」と騒ぐ。
そこへ静寛院宮も訪れ「私も慶喜殿を許せません」と話す。

思いを巡らす天璋院に滝山は「どうなされますか?」と、問うと「判らぬ。慶喜殿を許せない。その気持ちは同じなのだが・・・」滝山も「私も許せません」と言うが、そう言いながらも天璋院の出方を窺うような滝山だった。
暫し、瞑想する天璋院であったが「会わねばなるまい」と、意を決する。

やがて、慶喜と面会した天璋院は「何故私に会いに来たのか?」と慶喜に問うが慶喜は事の顛末を簡単に述べ後は口をつぐむばかり。
「勝にでも言われてきたのだろう」と図星を差され慌てる慶喜。
慶喜は「この命と引き換えに徳川家が守られるならばその覚悟は出来ている」と天璋院に言い放つが、天璋院は「あなたは生きて行かなければならない。京へ置き去りにした将兵や徳川家のためにも」と諭す。
「生き恥をさらせと?」と反問する慶喜に天璋院は「恥を偲んで生き抜くことがあなたの勤めです」と更に諭すのであった。

そして、天璋院は慶喜を静寛院宮の許に連れて行き、「私は慶喜殿助命嘆願をしようと思います。ついては宮様もお力を貸してはいただけませぬか?」と静寛院宮に依頼する。
あまりの事に慶喜は「どうして私にそこまでしてくださるのですか?」と天璋院に問うと「あなたは御聡明な方です。きっと、先の事が見えてしまわれたのでしょう。」慶喜は「いや、あれは・・・しかし」

「あなたも私の家族だからです。徳川の、私の家族だから、私が守らなければならないのです。」
「大奥千人を統べることでさえ、私にはとても荷の重いこと。まして、天下の将軍ともなればその重さはいかほどのものでしょう。その重さに耐えた将軍を私は二人しか知りません。家茂様と、私の夫家定様」
「家茂様も、家定公もお若くして亡くなられ、その思いはいかばかりだったか、あなたはお二人の思いの分まで生き抜いてください」
「本当にご苦労様でした」と慶喜に礼を尽くす天璋院。そして静寛院
その言葉に胸を熱くし、「頭をお上げください」と二人に逆に頭を下げる慶喜であった。

(慶喜はずっと篤姫を「所詮は島津の分家の娘。」と蔑んでいたのでしょうね。だから勝に「天璋院に会え」と言われた時「何で俺が敵の娘に会わなければいけないのだ」と言う態度だったんでしょう。
だが、実際には違った。自分よりはるかに聡明で、自分よりはるかに徳川家を、そして国を考えていた。と言う事に気付かされた。慶喜は確かに「先が見えすぎていた」だからこそ江戸に逃げ帰った。その事をちゃんと判っている上で「慶喜殿を守る」と言った天璋院。慶喜の完敗でしたね。)

やがて、天璋院は勝を呼び、慶喜が天璋院の言う事を素直に聞き入れ、自室に篭り謹慎していることを聞き安堵する。
そして徳川の今後について意見を聞く。
勝は「戦になったとして、勝つ参段はあります。」・・・「どのように?」と天璋院
「戦わずに勝つ。後のことは・・・、今は天璋院様でも今、これ以上お話しすることは出来ません」
天璋院は「では、そなたの思う存分、働いてくれ。任せたぞ」と話した。

その頃、江戸へ向けて進軍準備中の「官軍」の「総大将」を自分が引き受けたい。と西郷は岩倉に直訴。
岩倉は総大将は「有栖川宮」とし、その副官に西郷を据えると告げ、和宮の許婚が有栖川宮だった事、江戸には嘗て西郷が徳川入りに奔走した篤姫がいる事を「運命の皮肉」と言ったが、西郷は「何処の誰かも判らない者に討たれる方がむごい」と答えた。

(せめて、最期は自分の手で、ってことですか?西郷さん。しかし、小松帯刀ではないけれど何故、西郷は此処まで来てしまったのか・・・西郷さんの回想シーンでも「何故、自分は此処まで来てしまったのか?」と言う自問自答に見えましたが・・・)

さて、次回は久しぶりに「幾島」様の登場です。





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