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zoom RSS 大河ドラマ「篤姫」レビュー23 〜第45話〜

<<   作成日時 : 2008/11/15 23:45   >>

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将軍、御台所の不在な大奥はひっそりと静まり返り「静寛院」も「本寿院」もそれぞれの部屋でひっそり暮らしていた。そんななか天璋院は滝山、重野、唐橋らと大奥の今後について話し合っていた。「もし、戦になったら?」それがみなの気がかりであり、天璋院はどうにか戦だけは防がねば、と思っていた。

一方で小松帯刀は病を得て国許へ戻っていたが、竜馬亡き後「武力倒幕」へと突き進む大久保や西郷が悩みの種であり、土佐へ帰国する為に挨拶に訪れたジョン万次郎にその心中を吐露する。

大久保、西郷等は小松が病を得たのを幸いに「小松様は薩摩に在って、我等がことに失敗した時、薩摩を支えて欲しい」と、もっともらしい理由をつけて小松を厄介払いにし、岩倉と企み、慶喜(幕府)側から「開戦」させるように仕向ける。

書状で事の真意を知った小松は「今まで自分が戦ってきた事はなんだったのか・・・」と嘆き、悲しむのだった。
兎も角戦を回避したいと願う帯刀の心中には「天璋院を戦に巻き込みたくない」との思いがあることを見抜いたおちかは、「天璋院様の心を動かせる方の所に参りましょう」と帯刀を伴って天璋院の実家、今泉島津家のお幸の元を訪れ、「天璋院様に薩摩へ帰国くださるよう、お手紙を出してください」と頼む。

しかし、お幸は「あの子は徳川家の人間になった。たぶん戻る意思は無いでしょう」とおちかに告げる。
帯刀はお幸の気持ちを量って、久光の元へ行き「天璋院様は薩摩にとって大恩あるお方。戦になる前にお救いすることこそ薩摩の勤め」と説得し、国父久光直筆の書状としてお幸へ「天璋院様へ帰国願い」を書いてくれるように頼む。

天璋院は勝を召しだし、朝廷や慶喜、京での近況を聴いていた。
勝は朝廷が慶喜に対し「辞官納地」を迫っている事。それを慶喜が拒否するだろう事、薩長が幕府に対し「挑発行動に出る」かもしれないこと。そして戦になる事は五分五分である。との見解を示した。
天璋院は勝に対し、「戦になる事だけは絶対に避けるよう」幕府の軽挙妄動に注意するよう促すのだった。

やがて、島津家江戸上屋敷老女小の島(久々の登場)がお幸からの手紙を携えて天璋院の元を訪れる。
手紙を読んだ天璋院は涙ながらに「私は徳川の人間、今帰国する訳には行かぬ」と即答する、が小の島は「帰国するとの返答を頂かなければ帰る訳には参りませぬ」と執拗に粘る。そしてこれはご家老小松帯刀様からの厳命なのです。と告げる。
動揺する天璋院だが、「なんと言われようと帰ることは出来ない。私は徳川家を、大奥を守らねばならない」とその意志の固さを示した。

傍で聞いていた重野は滝山に「天璋院様を薩摩へ御返し差し上げた方が宜しいのでは?」「もし、戦などになって薩摩に討たれることがあれば、あまりにもむごい事にございます」と話す。
滝山は「天璋院様は徳川の人間としてご決心された。それにあの方以外私たちの支えになってくれるお方はいない」と言い、滝山も重野も唐橋もそれぞれに「静寛院」「本寿院」を思い浮かべるも、結論は3人とも「あの方々では無理!!」と言う結論であり、それならば「静寛院様こそ京へお帰り戴くのが筋」と思ってしまった。

しかし「むごい」と言う重野の言葉に心動かされた滝山は、(天璋院が今までどれ程大奥に対し尽力し貢献してきたか、どれ程苦労してきたか)を思い、重野、唐橋と共に天璋院に「薩摩へご帰国なさる方が良いと思う」と話す。
3人の自分を思ってくれる気持ちを知った天璋院は「これでやっと本当に覚悟が出来た」と、「私は薩摩へは帰らぬ。最期まで大奥を守る。私にとっては大奥の皆が家族じゃ。私に最期まで付き合ってはくれぬか?そちたちさえよければ・・・じゃが・・」
3人は改めて天璋院の決意と自分たちを、大奥を大事に思ってくれる主に涙を流しながら見詰め合うのだった。
(しかし、唐橋の号泣にはちょっと笑えた。良いシーンだったのに・・・)

一方、薩摩のお幸は息子忠敬に「あの子はたぶん、戻らないと思いますよ」と話す。忠敬は「何故?」と、問うとお幸は「判るのです。私の生んだ子だから・・・」「でも、帰ってきてと手紙を書いた。それも、私の生んだ子だから・・・」と話した。

そんな矢先、江戸城二の丸が炎上したり、市中で騒乱が勃発したりと矢継ぎ早に事件が起き、それが薩摩藩の仕業であるとの情報が勝よりもたらされる。天璋院は薩摩の挑発に乗らないよう勝に要請するも、数日後、幕臣による薩摩藩邸焼き討ち事件が起こってしまう。

それらは西郷が考え巡らした策であった。大久保は更に次の手を打っており、それを西郷に披露する。
それは皇室の「十六弁菊花紋」を金糸であしらった「錦の御旗」であり、この幡を薩長連合軍の陣頭に掲げる事で薩長軍は「官軍」、幕府軍は「朝敵」(つまり朝廷に叛く反乱軍)と言う図式が出来上がるのだった。

(大久保さんや岩倉には見えていたのでしょうか。「最早、武士が政を行う時代ではない」と、二人とも幼少期から青年期は大分辛酸を舐めて来たようですから、とりわけ大久保さんは早くから「身分制度、階級制度」に対する疑問を持っていた。そしてそのもっとも大きなシンボライズなものが徳川将軍家だった。だからこその「倒幕」、と言うことでしょうか。・・・それは「島流しに遭おうが、藩に遠ざけられようが、結局はリーダーになってしまう西郷とはやはり一線を画す様な気がします。
ましてそこそこ上級の士分でさして苦労もせず、斉彬にも久光にもその才を請われて「若き家老」にまで昇った小松帯刀とは幾ら「若き頃よりの盟友」と言っても相容れぬ高き壁が存在していたのかも知れず、また、そんな大久保の心中を察する事など小松帯刀には考えも及ばぬ事だったかも知れません。「錦旗」を見せられた時の「そこまでするか!!」と言うような西郷さんの表情も何とも言えませんでしたね。)

幕府幹部が自分の命も聴かずに動いてしまった事に焦る慶喜。

「最早戦は避けられるのか・・・」と立ち尽くす天璋院。

「自分がその場にいられない」ことを悔やむ小松帯刀。

それぞれの場所で、それぞれの立場で・・・いま、最後の戦いが始ろうとしていた。

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