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zoom RSS 大河ドラマ「篤姫」レビュー 〜第43話〜

<<   作成日時 : 2008/10/27 22:36   >>

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家康の開幕以来260余年・・・太平の世は蒸気船の到来によって破られ、日本における最長期政権もいよいよその終焉に向けてのカウントダウンが始ろうとしていた。

十三代、家定。十四代、家茂。事半ばで斃れし若き将軍たち。その最後の思いはいかばかりであったろう。
国を憂い、徳川家のありようを思い、そして最愛の妻を思い・・・さぞや無念であったに違いない。

毎日泣きくれる天璋院と和宮。
天璋院の元を訪れる勝は「上様をお守りすることが出来ず申し訳ございません」と詫びを入れるが、「そなたは良く働いてくれた。」と労を労う。そして家茂の最期を尋ねるのであった。「安らかに眠るような御最期でした」「天璋院様と和宮様をよろしく頼む」との仰せにございました。と話す勝であった。

やがて家茂の亡骸が京から無言の帰還を果たす。
和宮の許には、家茂が土産に、と買った「西陣」の織物が届けられた。それを抱きしめながら泣きくれる和宮であった。後年、この「西陣」は和宮から増上寺へ寄進され、増上寺は在る年の「清寛院追善法要」の折、この「西陣」を袈裟に仕立て、和宮と家茂の供養とした。「空蝉の袈裟」と呼ばれるこの袈裟は今も寺宝として伝わっている。

そして、老中からは「一橋慶喜公を次期将軍に就ける」事に対し、賛同してくれるよう頼まれる篤姫。
「家茂様の御遺言は田安亀之助殿を後継に、との仰せであった筈」と詰め寄る篤姫に老中は「この難局を乗り切るのに僅か4歳の亀之助君では叶いません。事、此処にいたっては慶喜様を置いて他には居ないかと存じます」と答える。篤姫は「仕方ない。では、慶喜殿の後は必ず亀之助殿に継がせよ」と命じた。

此処に徳川十五代将軍、徳川慶喜が誕生する。
物語初頭、斉彬、春嶽らが画策した事がやっと実現した訳だが、慶喜の器量や人格に疑問を持つ篤姫の心中は複雑なものであったろう。

おちかさんに「お琴とは別れる」と言って薩摩を出、京都へ戻った小松帯刀は、お琴が自分の子を産んでいたことに驚く。が、「この子は私の子、小松家の嫡男として立派に育てる」決心する。
そして西郷や大久保に「私たちが志半ばで斃れようとも、きっとこの子達が私たちの意志を継いでこの国を強い立派な国にするでしょう」と思いを告げる。

慶喜が将軍になった事で、慶喜を座長に「列候会議」が催されるが、何でも意のままに会議を進めようとする慶喜に「これでは何のための列候会議か判らん。」と久光は席を立ってしまう。

それを聴いた西郷と大久保は、会議前に岩倉具視から聴いた「慶喜を甘く見てはいけない、中々一筋縄でいく人物では無い」と言う言葉を思い出し、「最早、慶喜を討って、倒幕し新しい体勢を作る以外、この国を強くする手立ては無い」と小松に言う。
小松はその言葉に驚き「倒幕などあってはならない」と叫ぶ。

大奥では和宮一行が帰京することとなったが、突然、和宮の兄、孝明帝崩御の報が届く。
和宮は続けざまに「心の拠り所」を失ってしまう。

やがて、和宮は髪を下ろし「清寛院」と言う法号を受ける。
それでも帰京すると言う和宮に、篤姫は「宮様の想われるとおりになさるのが一番良い」と話す。
そんな篤姫に「何故、母上様はそんなにもお強いのか?一人で大奥を背負われていくおつもりなのか?」と問う和宮。
篤姫は「亡き家定様が、いつも私の傍に居て下さる。そう、思えるからかもしれません」と、答える。
すると和宮は「私はそんな母上様の強さを学びとうございます。そして家茂様の御意思を果たしとうございます。京には帰りませぬ。」
篤姫は涙をこぼしながら「宮様は徳川の人間になって頂けたのですね」と嬉しそうに微笑んだ。

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