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zoom RSS 大河ドラマレビュー14 〜第34話〜

<<   作成日時 : 2008/08/31 22:50   >>

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いよいよ、都より「和宮」が下ってくる。

{その昔、日本の首都は「京」であった。それは桓武天皇の平安遷都による。その後、保元、平治の乱、源平の合戦が起こり、頼朝による「鎌倉開幕」で「武家政権」が樹立しても、南北朝時代を挟んで足利尊氏による「室町幕府」が出来ても、戦国動乱期も、「安土、桃山時代」も、「徳川幕府」になっても「京洛」は日本の首都であり続けた。
朝廷としては”とりあえず”「武家の棟梁」と言う地位を時の最大権力者に与えて「政」と「治安維持」を委任している。と言う考え方であり、「征夷大将軍」と言う官職も官位も朝廷が武家に貸し与えているもの。であった。

維新成って天皇の「江戸行幸」となっても「遷都令」が発せられた訳ではなく、「京」の古くからの知識層の中では今現在でも「天皇は江戸に行幸なさっている」に過ぎず、あくまでもお住まいは「京都御所」であり、すなわち日本国の首都は今でも「京」である。と言う考え方があると、司馬遼太郎さん(だと思う)が書かれていたっけ}

「降嫁」とか「東へ下る」と言う言い方はつまり「将軍家」を見下した言い方であり、「田舎もの」と同義語だったと言って良い。

「和宮御一行」が篤姫苦心のおもてなしを「武家風」と侮ったのは、まッ当然と言えば当然だった訳だが、和宮が「降嫁」を決心した時に「皇籍」からは離脱し、所謂「臣籍降下」となる覚悟できてる筈なので、後に篤姫が「将軍家へ嫁入りされたからにはその仕来りを私がお教えしなくては・・・」と言うのは御もっともであり、この言葉で篤姫付きの老女やお女中連はさぞや「溜飲」を下げたであろう。只、篤姫との対面の席で篤姫が上座にいるのは兎も角、和宮に敷物も与えないのはちょっと拙いね。まあ和宮の「天璋院へ 」ってのも拙いけどね。

家茂との対面の前、和宮の前で、「鬼のようだ」とかナントカマルで戦前の「鬼畜米英」のような言いようで和宮を脅かす「庭田」さんたち「京」派の女中連・・・和宮は恐れてしまう。

しかしいざ対面した家茂は見目麗しい涼しげな「イケメン」で、どうやら「和宮」は京に残した元許婚のことも忘れて「一目惚れ」のようだ。

一方、薩摩では「誠忠組み」の面々が相変わらず集まっては、「あの時決起していれば・・・」と言う言葉を繰り返し、まだ仕事を与えられずにいる不平や不満で燻っていた。
彼らは大久保正助だけが久光の傍近く仕えて「役」を貰っているのを自分たちへの「背信行為」と取っていたらしい。
小松と大久保は久光に「西郷の罪を許し、帰郷させ、彼らのリーダーとさせて暴発を防ぐ」よう懇願し、久光もこれを許し、西郷はやっと流罪から解放された。

そんなおり、江戸では井伊大老亡き後、幕府の威信を回復させるべく「公武合体」を推進させてきた老中、安藤信正が登城途中、またもや水戸浪士たちに襲撃され重症となる。さらに幕府の威信は揺らいでしまった。
所謂「坂下門外の変」である。

「桜田門外の変」が余りにも有名な為に忘れられがちな、(そう言えば中学で習ったな)「坂下門外の変」であった。

阿部正広、井伊直弼の後で影の薄い安藤信正・・・篤姫にまで「幕臣としての気骨はないのか!!」と、怒鳴られて家茂には「其処までいわれては彼の者がかわいそうです」と言われる始末。

しかし番組最後のコーナーでは「所領のいわき平では名君として今でも讃えられている」としっかりフォローが入っていたな。御子孫に気を使ったかな?NHK・・・



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