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zoom RSS 縁切寺

<<   作成日時 : 2006/06/22 21:34   >>

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古都鎌倉は首都圏から一番近い観光地、小京都、そして歴史の舞台
今の季節なら「紫陽花寺」として有名な「明月院」などに行くのが良いね。

「縁切寺」とグレープが唄った「東慶寺」は北鎌倉にある。
北条時宗夫人の「覚山尼」が開山し、その時虐げられた女性達を救済しようと「覚山尼」が著したのが「縁切り法」、その後、後醍醐帝の皇女や豊臣秀頼の娘(千姫、剃髪して天秀尼)が入寺、以来明治維新までの600年間、高い格式と女性救済の寺として信仰を集めた。

今の時代「離婚」は日常茶飯事だし、「別れ」を切り出すのも得てして女性の方からだったりするのだが明治維新までは妻の方から「離縁」を迫る事はできなかった。
だが「尼寺」に駆け込んでしまえば男性は中には入れないのだった。

頼朝公開幕以来の古都、鎌倉
鶴岡八幡、鎌倉大仏、源氏山、切通し、江ノ電に乗れば由比ガ浜、義経が留め置かれその心情を手紙に認め兄に託した腰越、そして江ノ島・・・

私も学生時代、子供の頃など何度か訪れた。
大人になってからは学生時代の友人とドライブに行ったが、湘南はいつも渋滞で、辿り着く頃には由比ガ浜か稲村ガ崎から太平洋に沈む美しい落日を眺めるのが精一杯だった。

高校の二年の一学期、幸か不幸かホームルーム長(まっ平たく言うと学級委員長ですか〜)に選ばれてしまった。で、3度目位のホームルームの議題が「社会研修」(これも平たく言うと遠足ですか、高校生にもなって遠足ってよう言えんから「社会研修」だって・・・)
各クラスで何処へ行ってみたいか、意見を持ち寄ってルーム長会議で決める事になったのだが、私のクラスのツッパリ君の発案で「鎌倉、江ノ島ハイキングツアー」となり、何とルーム長会議でこれが通ってしまい、丁度6月の今頃観光シーズンのオフで空いているだろうと言う事で出かけた。

丁度この頃は「北鎌倉」とか「縁切寺」とか鎌倉を舞台にした歌がはやっていたんだな、と今にして思う。サザンが「勝手にシンドバット」でデビューするのはこの一年後の事だ。

良く晴れた日、梅雨の晴れ間、当時まだ国鉄だった「横須賀線」に乗って「鎌倉」へ、そして鶴岡八幡、鎌倉大仏を廻って、昼食を食べたのは由比ガ浜だった。
白い砂、碧い波、目の前に太平洋、この海の向うにアメリカ大陸、遠い異国へ思いを馳せながら、ずっと海を見つめていたあの頃。

鎌倉行きが決まった時、「東慶寺」や「建長寺」などの寺回りをしたい、と主張したのだが副ルーム長をしていた女子の「縁切り寺」なんて行くのいやだ!!と言う一言であっさり却下されてしまった。・・・「人の縁とは不思議なもので・・・」

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秋の鎌倉 8(残りの写真)
散策するなら、鎌倉より北鎌倉のほうが好き。 ...続きを見る
色は匂へど・・・
2006/10/30 17:11

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。
ちょうど1泊で鎌倉へ行ってきたばかりです。
「縁切り寺」で検索したら、ここへたどり着きました。
私としては、バンバンの曲としての認識が高いのですが、
本当に当時は鎌倉をテーマにした曲が多々ありましたね。
(そういう私は’62年生まれですw)
真行寺涼子
2006/10/30 17:10
涼子さん、はじめまして、
今後とも宜しくお願い致します。

「縁切り寺」東慶寺をモデルにした、グレープの「縁切寺」は1975年発売のグレープサードアルバム「コミュニケーション」に収録されています。それを聞いたバンバンことばんばひろふみさんが強引に自分達のシングルにした、とさださんは昔コンサートトークで言っておられました。(もちろん冗談で、ですが)・・・
丁度、’70年代は「アンアン」「ノンノ」などの女性ファッション誌などで「鎌倉」「北鎌倉」への小旅行がブームだったようですね。

私は夏の鎌倉しか行ったことがありませんが、秋の鎌倉も風情がありそうで良いですね。
又、お越しくださいね。
羽柴小一郎
2006/10/30 20:25

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