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<<   作成日時 : 2006/06/18 02:25   >>

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大きな歴史の転換点、それに立ち会う事のできる、又はその時代の只中に生きる、そんな人がどのくらい存在するのだろう・・・。

ましてや己がその当事者であると自ら認識できる人など果たして存在するのだろうか?

大河ドラマで戦国時代を扱う時、避けて通れない「本能寺の変」
今日の「功名が辻」(再放送分)でも「本能寺の変」の回だった。
昨年の「義経」の「壇ノ浦」がひとつの大きな山場であるなら、戦国物の大きな山場のひとつが「本能寺の変」である。
変事に至るまでの経過や動機などは作品個々で様々な解釈がなされているが、真相は闇の中だ。光秀の信長に対する私怨、朝廷や足利義昭、反信長勢力に担がれた、秀吉、家康など信長家臣団の中の人間に操られた。etc
今回はそれに光秀の濃姫に対する「想い」が絡んでいる。

光秀軍の不意打ちに驚愕し、炎上する「本能寺」、自ら刀槍を振るい奮迅するも「是非に及ばず」の言葉を残し猛火の中に消えた信長。信長を敵に見せじと立ちはだかる森欄丸ら小姓衆。その時「濃姫」は果たして「本能寺」にいたのでしょうか?

光秀の儚い夢が信長の野望を打ち砕いた時、日本の天下は路傍に放り出され、今度はそれを誰が拾うか、或いは又「応仁の乱」後の戦国が続くか?と京洛中の人々が息を殺して見守っていた時、彗星の如く現れたのが羽柴筑前守秀吉であった。

歴史の主人公はこの時、信長から秀吉に移った。光秀は主人公になりそこね、主殺しの謀反人となってしまった。
時代の中心に今、自分が居る事。光秀はそれを認識することなく、秀吉は十分にそれを認識した。そして時代は秀吉を選んだ。

やがて、時代が真に求めているものとは違う道を行く豊臣家を時代は見捨て、次に徳川家を選んで行く。が、これはまだ先の話。

舘ひろし氏の「信長」、最初はちょっと違和感が無くも無かったが、段々と狂気を帯びてくる鬼気迫る表情や天下人として人の上に君臨する「孤独」が良く描かれていた、と思う。
最期にやっと「濃姫」と心を通わせる場面など史実はどうあったかを超越したところで名場面であった。

そしてこれからはいよいよ秀吉が天下人の階段を上っていく。
柄本秀吉はどのような天下人を表現してくれるのだろうか?

そしてこれからが本格的な山内一豊の出世街道の始まりだ。(今までも出世はしてるけど秀吉の使い走りみたいな感じだもんね。)

さて、時代とは・・・平たく言えば民の声、民意である。
遠い戦国も今この時代も、民の声に耳を傾けない権力者や政治家は、やがて滅ぶ。
260年15代に渡った徳川長期政権でさえ、明治維新のうねりの前にはなす術も無かった。
今の政権与党も何かと言うと「民意によって選ばれた」と言うが、果たしてどうなのか?
余り奢り高ぶっていると、「民意」によって足元を掬われかねないですぞ。

歴史の転換点、それは何時、どのように訪れるか、誰にもわからない。
まずそんな事の当事者にはなれないだろうが、そんな場面に立ち会ってみたいものだ、と思う。もちろん、今よりずっと平和で誰にでも良い時代になるのならね。

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