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zoom RSS 私花集〜学生時代の指揮者奮闘?記〜 さよならコンサート

<<   作成日時 : 2006/03/18 23:31   >>

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学校は冬休み、しかし、卒業コンサートを2月に控えている合唱部は年末、年始の5日間位しか休みがなかった。何せ学校そのものが休みと言う事は授業が無い訳で、とすれば丸一日練習できると言う事だ。まあ、さすがに一日練習では可哀想と言う事で午前中だけとなったが、その代わり午前8:30集合で昼休み無しに午後1:00まで、みっちり練習した。

ただね、殆どの子が帰らないの・・・何故か?、この頃学校中で「大貧民」と言うトランプゲームが流行っていて「合唱部」でも練習の合間や、集合時間前などを利用してやっていた。
折から冬休み、帰ったってどうせ母親から「掃除を手伝え」だの、「買い物を付き合え」と言われるに決まってる。それなら昼抜きにしたって仲間達と遊んでいる方がいい。ってな具合で、
先生まで巻き込んで(と言うか、このゲームに関しては先生が中心だったような気がするが)
夕方近くまでやっていたな。もうルールも覚えてないけれど・・・

ある日、部員の集まりの悪い日があった。もう年末間近だったからしょうがないのだけれど、
何となく、集まったみんなも連日の疲れか、やる気が出ない。先生もかなり疲れているようだった。ここで、部長と私が提案した。「どうせ、半分も揃ってないんだから今日は思い切って練習はお休みしよう」「ワッ」とみんなから歓声が起こった。続いて「じゃ、今日はトランプ大会ね」と部長が言うとみんな大喜びだった。「たまには良いよね」と先生に言うと「しょうがない人たちね〜」と一言言った後「私もゲーム参加!!」(おいおいあんた、先生だろ?一番喜んでるじゃん)心の中でそうつぶやきながらも、何だかんだ言っても先生が一番疲れてるんだよな。と思った。だって毎日4時間も5時間もずっとピアノ弾いてるんだもの。しかも不慣れな私の指揮ぶりや、みんなの合唱をチェックしながらであった。

明けて’79年1月、冬休み明けから、練習は一層厳しくなった。
授業が終わって午後3:30〜午後8:00まで、うち1時間位は男子生徒有志による「ハレルヤ」合唱隊の練習もある。自分達が個々に唄う歌の練習もある。
私が指揮出来ない3曲位は先生が指揮をする。その曲のピアノ演奏は「演劇部」の新任顧問の先生が弾く事になり、そのための練習もある。「ハレルヤ」以外の私が指揮しないときはこのピアノの補助を勤めなければならない。(要は楽譜めくり、簡単なようだが、音符を眼で追いながらピアニストや指揮者と呼吸を合わさなければならない重要な役目だ)

1月下旬にはある程度曲順も決定する。そしてそのメニューに従って、練習していく。
前後の曲の流れやゲスト校の木管アンサンブルやオーケストラとの兼ね合いなども考慮して1月末には完全にコンサートセットメニューが決定した。
チケットやプログラムなどの発注も先生の仕事だった。あるコーナーでは効果音とナレーションが必要になり、この役目は私の友人と「演劇部」の仲間に頼む事になった。

2月に入り、合唱部、スタッフ、合唱隊、全ての卒業コンサートに関わる人達が揃って合同練習となる。この頃になるともう休みはない。毎日午後9:00頃まで練習の日々。
そしていよいよ私の指揮者デビュー緒戦の日が来た。

「’78年度卒業生予餞会」つまり生徒会主催の3年生追い出し会が私の「合唱部員」としての初舞台だった。
体育館のステージ、「次は合唱部のステージです」と言うアナウンスで緞帳が上がる。
ステージの中央で客席に背を向けながら経つのは初めてだ。(演劇では客席には絶対背を向けるなと言われてたから・・・)
私が「合唱部」で指揮をする事は「演劇部員」とごく少数の友人しか知らせていなかったから3年生の席からは「おー!!」と言うどよめきが起こった。
恥ずかしながらも卒業コンサート予定曲から5曲程披露して私のデビュー戦は終わった。

次のステージは卒業コンサートを2週間後に控えたある日、県教育委員会と合唱連盟主催の「県南高校合同合唱祭」、校内の行事ではない公式の発表会だったから此方の方があがった。何せ県南20校程が出場するし会場も県の中核都市の大ホールでキャパ1500のホールが関係者や一般客でほぼ満員だったのだから・・・

後年、このホールでさださんがコンサートをされると聞いてチケットを取ろうとしたが取れなかった。でも、あの日自分がその中央に立った同じステージにさださんが立つと思ったら感慨もひとしおだった。

そして、卒業コンサートまで2週間、これからは毎日、ランスルー(所謂ゲネプロ、通し稽古)の日々、35曲を繰り返し、繰り返し凡そ2時間半に及ぶコンサートを毎日3回ほども繰り返すのだ。もっともMCがない分一回は2時間ほどではあったが・・・
ランスルー4日後くらいにはみんな声が出なくなり、私も肩を痛めた。腕が思うように上がってくれないのだ。みんなは喉に薬剤のスプレーをしたり、タオルで暖めたり、私も肩や腕に湿布を貼りながら練習に耐えた。その先にある自分達の「夢」に向かって・・・

そしていよいよ、卒業コンサートの日が目前に迫った。・・・

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