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<<   作成日時 : 2005/12/08 22:22   >>

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12月8日、64年前、1941年昭和16年のこの日、無謀にもわが国が対英、米連合軍と開戦した日、その緒戦である「真珠湾攻撃」を行った日である。

私が子供の頃、この日はよくテレビで日米合作映画「トラ、トラ、トラ」を放映していた。
日本軍指揮官として「三船敏郎」さんや「山村聡」さんなどが出演されていた。

子供の目には「戦争スペクタクル」映画だったが、この「真珠湾」をきっかけに4年に及ぶ日米の泥沼な戦争が繰り広げられる発端だったのだから、戦争体験者には苦い思い出の映画だったろう。

私の父などもいわゆる戦中派で、前線に行く事はなかったが、出身地の陸軍教育連隊に所属していた。だから銃の撃ち方、手榴弾の投げ方、など戦闘の基本は習っている。
よく刑事ドラマなどで主人公が軽機関銃を両手に持って乱射するシーンがあるが、それを見て「あんなうち方で打てるわけないし、撃てても相手には当たらん」と言っている。

軍国主義真っ只中の時代である。連隊では結構理不尽な事もあったらしい。もちろん上官の言う事は絶対であるし、口答えなど許されるわけが無い。服のボタンひとつ、靴の紐ひとつがお国からの下され物だから、「無くした」は許されない。見つかるまで連帯責任で小隊全員で探すのだそうだ。

幸い、父は東京で終戦を迎えることが出来た。前線に兵を送りたくてももう船もなく武器も何も無かったのだ。東京大空襲の時は焼け野原の市内を当時お世話になっていた人たちを探しに歩き、地獄を見たそうだ。

「負けてよかったのだ」昔、戦争の話を聴くたびに、そうぼそりと言っていた。
「あの時、もしアメリカに勝ってしまっていたら軍部の暴走はどこまでいったか判らないし、お前達などぬくぬくと学校に行くことも遊びに行くことも出来ずに軍人として占領地に送られてたろう」と・・・

生まれた時から平和を享受してきた私達には先の戦争が「侵略の為の・・・」としてしか教わってきていない。しかし大人になって「学校では教えない」歴史に出逢った時、果たして真実はどうだったんだろうと思うようになった。答えはまだ出ていない。
と言うか、結局答えなど無いのかもしれない。所詮、何時の時代でも歴史は勝者が正義なのだ。

ただ、これだけは間違いなく言える。今、ある平和は先人達の尊い犠牲と苦難の上に成り立っているのであって、誰もこの平和を壊してはいけない。と言うこと。

「二度と同じ過ちを繰り返さない為に」私達にいったい何が出来るのだろう・・・

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